【移住者インタビュー】「飯地高原自然テント村管理人 加納大士さん、友美さん」 夢をコトバにして叶える。
「飯地高原自然テント村管理人 加納大士さん、友美さん」
~「田舎暮らしをして、キャンプ場を経営するのが夢だった」夢をコトバにして叶える~
加納大士さん、友美さん
名古屋市より2018年に飯地町に移住。
年間1万人が訪れる人気のキャンプ場「飯地高原自然テント村」を夫婦で経営。
移住する前は、大士さんは設備関係の仕事、友美さんは広告デザインの仕事の傍ら、飲食店でアルバイトをしていた。
2016年に「飯地高原自然テント村」に利用者として訪れたのが最初。
当時のキャンプ場はグラウンドには木や草が生え、連休もまばらな客数だった。
特に目ぼしいものもない。
しかし、二人はこの場所の、自然の暗さと静けさ、そして星の美しさに魅了される。
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“いつか田舎で山を買って、キャンプ場を経営したい”
名古屋に住んでいた頃、大士さんが口にしていた言葉だ。
それに対して「そんな夢のようなこといって~」と答えていた友美さん。
しかし、その後、2018年には、二人は飯地に移住し
「テント村」のキャンプ場の管理人として大奮闘することに。
そんな夢をがっちり実現している二人をインタビュー。
昔のことを話すと懐かしい感じがするが、夢が実現するまでは早かった。
2016年、飯地町にあるキャンプ場「飯地高原自然テント村」(以下:テント村)に、利用客としてきたのが最初だった。
〔以下:大士さん(大)友美さん(友)〕
(大)「名古屋に住んでいるときに、“田舎暮らしをして、山を買って、キャンプ場をやりたい!” って口にだして言っていました。
山の仕事もしたかったし、チェンソーとか畑もやってみたいと思っていました。」
(友)「それを聞いたときは、山を買うお金もないし、“そんなの無理―!”と大ちゃんにいいました。」
(大)「“お前には夢がない”と喧嘩をすることもありました(笑)」
そんな話をした後、キャンプが趣味の二人は、飯地町にあるテント村にキャンパーとして訪れる。
“キャンプ場”とインターネットで検索しても、電話番号もすぐ出てこない
検索ページのトップから3ページ先にでてくるような、マイナーなキャンプ場をあえて探して行っていた。
そこで、当時の「テント村」を見つけた。
閑古鳥がないていたころの「テント村」。利用客もまばらだった。
利用客として訪れた、初めてのテント村。
初めて訪れた「テント村」は、グラウンドに草がボーボーに生えて、サビれた雰囲気だった。
テントサイトは、どこにテントを建てたらいいのかという感じで、草を車でガシガシ踏んでからテントを張った。
当時はホームページもなく、予約方法は手書きでファックス。
シルバーウィークの初日に10組くらい、中日は、自分たちだけで貸し切りだった。
管理人のおばさんたちが掃除などしていたが、3時頃になると“帰るね~”と帰っていき
そこからは誰もおらず、のんびりした感じだった。
あまりにもニッチなキャンプ場だったけれど、そういうのが逆に自分たちとしては良かった。
運営体制など当時の状況は知らなかったが
“自分たちだったら、もっとここをこうしようとか、こうだったらいいね~”
なんて冗談半分で話をした。
夜になると、外灯もなく真っ暗。
何もない静けさと、そこで輝く星の素晴らしさが、二人の心に沁みた。
これが二人が初めて訪れた「テント村」の話だ。
テント村からみえる満天の星空。
今では月に数回「星空観察会」を開催している。
始まりは、飯地で開催されたDIYイベントに参加したこと。
その後、具体的な移住計画などは考えていなかったが、今年は岐阜県で移住によさそうなところを探そうと
ドライブがてら田舎町をぐるっとまわった。
そうは言っても、結局誰に声をかけても良いのかもわからず、その時はただのドライブになってしまった。
その後、インターネットを検索していると
偶然、先日キャンプで訪れた「飯地町」で行われる、町主催のイベントを目にした。
「いいじ てまがい組の空家リフォーム塾」という数回の通い型で
移住などに興味がある人を募り、DIY体験をしてもらうというイベントだった。
「これ、この前に行ったキャンプ場の場所じゃん!もう一回、行ってみよう!!」
と迷わず参加を申し込んだ。
飯地町の雪景色。標高600m。冬は、年に数回は雪が積もる。
今では、冬キャンプに訪れる人も多い。
「やってほしい」と「やりたい!」がバッチリあったタイミング。
そのDIYイベントには、主催者、地元の人の他に、自分たち以外の町外参加者も数組いて
作業後は、仲間との交流会があった。
そのときの自己紹介で何気なく口からでた言葉は
“田舎暮らしをして、いつかキャンプ場をやりたいです。”
だった。
そして、当時、飯地町は経営難が続く「テント村」をどうしていくのかという話が持ち上がっていた。
そのDIYイベントには、当時のテント村の運営に関わる人も来ていて
この時、“町の方でもキャンプ経営者を探している”という話をきいた。
そこからは思わぬ勢いで話が進んでいく。
町のほうでも運営の候補者はなく
❝やりたいと思う人がいたら、やってもらったらいいんじゃないか❞という声が上がり始めた。
二人のところに、現実的にテント村の経営の話が舞い込んだのだ。
町からの、“やってみないか?”の問いかけに
(大)「“やります!”と、ほぼ2つ返事でした。」
(友)「私もその頃には“えっほんとにできるの~!”ってノリノリになっていました。
ただ、最初はテンションが上がりすぎてしまったので、一度落ち着こうってなりました。」
(二人)「けれど、どうしようかって悩んでいたら、この話がなくなってしまうかも。
これを逃したらこんな話は二度とないから、絶対に後悔する。
今がチャンスだと思いました。」
そして、二人は、テント村を経営することを決めた。
テントサイト。休日などは、多くのキャンパーで賑わう。
ゆったりとした空間を提供するため人数制限をすることもある。
「運営と移住」を決めた一番の理由は、飯地町を気に入ったから。
そして、ウエルカムで受け入れてくれた町に感謝。
その後すぐに、こんなことがやりたいという企画書を作った。
初めてテント村を訪れた時に感じた
“自然はあるが、特別なものは何もなく、暗さの中に月明りを感じ、星がすごく綺麗。これがここの魅力。”
そこだけは絶対に活かして、大切にしたいと思ったから、それを伝えるのに必死だった。
町の人たちも、その二人の提案を理解し、何度もお互いの話し合いを重ねる中で
新しいキャンプ場の形が描かれていった。
キャンプ場に二人が訪れてから話が決まるまで、話がすごい速さで進んでいったが
もしも、大士さんが漠然とした夢を語らなければ。
友美さんも、それに寄り添って、場所を探し始めなかったら、今はないかもしれない。
行動に移したことで、夢を引き寄せた。
当時、考えた管理棟のデザインを友美さんが描いたもの。
キャンプ場を経営するということ。
(大)「経営に関しては、友のほうが厳しいのかな。
自分はお客さんの相手をしたり、場内設備をしたり、指示をだしたり、ちょうどよいバランス。
どちらかというと友の方が社長気質かな。」
当時、キャンプ場の経営に関しては、もちろん二人とも初めての経験である。
北軽井沢で「予約がとれない日本一人気のキャンプ場」と言われている
「スウィートグラス」にアドバイザーとして入ってもらった。
経営者にアドバイスをもらったり、実際の運営方法を体験させてもらうため
スウィートグラスに数日間宿泊しながら、研修生として働かせてもらった。
また、スウィートグラスで人気の、薪ストーブ付キャビンの設計案の協力も仰いだ。
そして、スウィートグラスの経営者が、改装前のまだ何もないテント村を訪れたとき
“ここのポテンシャルだったら何もしなくても年間で1万人以上が訪れるキャンプ場になる”
といってくれたそうだ。
それは、当時の来場者数から考えると、“何をぶっ飛んだことを”と思える数字だった。
しかし、それを実現していくことになる。
その後、2018年には、友美さんが先に移住し、飯地で初めての冬を過ごす。
運営を始めるにしても知名度がなさすぎるので、友美さんは、広告デザインの仕事を活かして、自作のチラシを作り
アウトドアショップにおいてもらったり、イベントを開催して、名古屋の友だちにも来てもらうなどの努力も欠かさなかった。
その後、大士さんも設備の会社をやめて、生活を移行した。
そして、2019年4月には管理棟、トイレ、シャワー室の改装を終え
薪ストーブ付のキャビンが3棟建ち、リニューアルオープン。
その後、キャンプブームがきて、新型コロナウイルスでの休業もありながらも、1年間で1万人の来場者数を達成した。
家族連れに大人気の薪ストーブ付のキャビンは、室内では冬でも温かく
半袖で過ごせるくらい。ロフト付きで、木造のあたたかい雰囲気。
キャビンの外観。新しいキャビンは3棟。
テント村での仕事。グランド整備とDIYそして、人を呼び、景観を守ること。
(大)「整備で、苦労しているのは、水はけの悪いことです。
試行錯誤しましたが、冬になると霜柱がたって、そのあと、地面がぐちゃぐちゃになります。
その年によって、積雪量や降水量がちがうから、今は良くても自然環境がかわると
またふりだしに戻ったりきりがないですね。
例えばアスファルトをひけば簡単だけど、自然の景観はなくなってしまうので
できるだけ自然の地形や素材を活かした整備を心がけています。」
(友)「そして、なるべくDIYや手作りしたり、お金をかけずに工夫をしています。
お金をかければ、便利なものはできるとおもうけど、今あるものを大切にしていくことは
気が付く人には気付いてもらえるし、出来上がったときに統一感はないかもしれないけど、
温かみがあるねとか、大事にしているんだねと、思いは伝わると思うから。
“全体的な満足度”をあげることが目標にしながら、できることからコツコツとやっています。」
当時から、ここの環境や今あるものを大切にしたいという、二人の変わらない想いが伝わってくる。
今では、新しいキャビンと、昔からのキャビンをリノベショーンしたものが合わさり、温かみのある場所となっている。
当時からの古い建物も、自分たちで可愛くリノベーション。
Wi-Fiも使えるので、仕事やひとりの時間を楽しみたい方にも。
当時参加したリフォーム塾の人たちと一緒にリノベーションした建物。
大人数での宿泊が可能。冬の時期や、雨天時は、ここでテントバーが開かれる
テント村でのマナーの話。
(大)「マナーの話を少し。うちのキャンプ場は10時が消灯ですが、たまに消灯後も騒いでいるお客さんがいます。
静かなテント村では、かなり声などが響くので、他のお客さんからすると、騒音になってしまいます。
嫌な思いをしたお客さんは、また来ようとは思ってもらえませんよね。
それぞれのお客さんにとって、せっかくの思い出の一日だから、そこは気を付けています。」
(友)「そういう時は、せっかくだから自然を楽しんでね、という意味を込めて
“明かりをしぼってください。月明りで十分ですよ。星が綺麗だから眺めてね~”
といったりすることもあります。
注意している姿をみて、他のお客さんは
こういうときはちゃんと注意してくれるから安心できるねっていってくれます。
そして、注意したお客さんには、“マナーを守れるようになってからまたきてね”と伝えてます。
当たり前のことをやっていけば、それが良い方向へ循環していきます。」
常連さんとの温かい関係。そして、仲間を増やしたい。
(友)「基本的に、お客さんとの距離は近いです。」
(大)「リニューアル当初から常連さんにとても恵まれています。
常連さんが来たときには“、おかえりなさ~い”と迎えます。
常連さんも、“ここに来ると落ち着くわ~”、”やっぱここだわ~”といってくれたり
テントサイトの見回りにいったときも、気軽に声をかけてくれます。
帰るときは“またくるね~”と常連さんが言って、僕たちは
“気を付けてね。いってらっしゃ~い”と声をかけるなど
アットホームな雰囲気を大事にしています。」
(友)「今は、キャンプブームっていわれているけれど
ブームが去ったときに、どれだけ常連のお客さんが来てくれるか。
ファンをつくっていくことが大事ですね。
10年後もかわらず常連さんには来てほしいな。
新規のお客さんももちろんですが、常連さんの満足度をあげることが大事だと思っています。」
(大)「人の繋がりという面では、地元の人たちとの繋がりも大切にしたいので
地元のおばさんたちが作ってくれた野菜も売店においています。
お客さんも“地のものはいいね~”と喜んで買ってくれます。
その野菜とジビエでバーベキューする人もいます。」
(友)「あと、“仲間をふやそう”って思ってやっています。私たち夫婦は、年齢が10歳くらい離れているけど
そのおかげで、私の世代、大ちゃんの世代まで、幅広く繋がっていけるのがいいです。
また、キャンプ場以外でも知り合いが増えてきたり
大ちゃんは地元の消防団にも入ったので、同世代の人たちとも仲良くなれました。」
地元の物産が並ぶ。飯地の薪や、ジビエなども購入できる。
これから先のこと。
(友)「始めは、二人だけだったから“週末はお客さんがいっぱい来るのにバイトがいない!どうしよう!”
ってこともよくありました。
先のことを、考える暇もないくらい、目の前のことで必死でした。
最近になってやっと、アルバイトスタッフも来てくれるようになったので
先のことが考えられるようになってきました。
10年後は、誰かにまかせて自分たちは何か社会に貢献できるようにしたい、なんて考える余裕もでてきました。」
(大)「テント村が飯地町の情報発信元になるといいと思っています。
今のお客さんはキャンプだけして帰ってしまうので、飯地町をまわってもらうことはないから
今後は、町の人たちとも連携をとって、イベントなどを企画して人を呼ぶことを一緒にやっていけたらいいな。
例えば、町には歴史ある地歌舞伎小屋の五毛座や民俗資料館などがあります。
そのことを発信したり、ツアーやイベントなどにして、すべてがリンクしていけるような形の中心に
テント村があるといいなと思います。」
飯地町にある「民俗資料館」
昔懐かしい道具や書物の展示などがあり一度は訪れてほしい場所。
夢を叶えることについて
(大)「テント村に閑古鳥がないていたころは、“予約がとれないキャンプ場なんです~なんて言ってみたいね~。”
と冗談半分で話していました。
けど、それが現実になってくれました。
地元の小学生が、地域学習できれくれる時に、“一言お願いします”といわれることがあります。
そのときに、
“僕は、いつかキャンプ場をやることが夢でした。それを口にだしたことで夢が叶った。
だからみんなも夢は口にだしてね”なんて偉そうなことをいっています。(笑)
ただ、夢と現実は実際ちがう(笑)
夢の中では、コーヒーでも飲みながらのんびりやっているイメージだったけれど、そんな余裕は全然ない。
ここがよくなると、次はここをやろうとなってくるから、終わりはみえませんね。」
(2人が声をそろえて)「“現状でまんぞくだね”ってなった時点で衰退していくと思うので。」
スタッフにの加入がありがたい。
最後に。キャンプ場をやってどうだったか。
(大)「横のつながりもできたし、お客さんや町民、町外の人とも繋がることができて
良い経験をさせてもらっている。
ここにきたのは縁だったのかな。
最初に、キャンプ場をやるって、地元でいったときは、知り合いなんかに、どうせ泣いて帰ってくるよ~。
なんていわれたこともあったけど、どんなに大変でも、自分で決めたことを進めばいいし、途中で変わってもいい。
最終的に決めるのも自分だし、苦労するのも、楽をするのも自分。
これからも、どっちの道を選ぶのか自分を信じてうごく。」
(友)「たくさん喧嘩もしたけれど、楽しい!
大変なことも多いけれどトータルしたら、オールオッケー!
コロナや色々大変なこともあったけれど、一見、足踏みしたようで
その間に整備できたり、スタッフが来てくれたおかげで
今までできなかったYouTubeの作成などの新しいことを始められたり。
どうなるのかなっていうときもあったけれど、何とかできています。」
(二人)「もっとよくなるかもっていう、想像力や意識が大事。
まあいっかにしちゃえばそこまでっておもいますね。
自分の中でも何とかなるっていうのがある。
というか、何とかするしかない。気合だね!」
息がぴったりの二人。
そして、二人の言葉はどれもはっきりと意志が固い。
途中、大士さんが、“友が社長気質”といっていたが、どうやらそうでもなさそうだ。
二人の行動力、考えや意見が相まって、ここまで成長を遂げた「テント村」だ。
常に前を向いている、社長気質な二人のキャンプ場はまだまだ進化し、広がっていくと確信した。
管理棟の中でインタビューに答える大士さんと、友美さん。
(令和4年 インタビュー/平井はな恵)
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