【移住者インタビュー】小保内 真さん「辺境の地 “飯地町”で、田舎暮らしの可能性を模索する。」

 

「辺境の地 “飯地町”で、田舎暮らしの可能性を模索する。」

小保内 真(おぼない まこと)さん

 

 

Profile
令和元年度、「恵那市地域おこし協力隊」として働く際、恵那市の13町全てを訪れたなかで、“辺境感”が一番だった「飯地町」への移住を決める。令和2年度「飯地町」へ移住。借家に住みながら、将来の拠点となる古民家や物件を「飯地町」にて探索中。現在「飯地高原自然テント村」のアルバイトや地域のお手伝いの仕事をしている。

愛知県春日井市出身。

大学卒業後、東京にてゲーム会社のTAITOの品質保証部に15年勤務。脱サラをして、世田谷にてカフェバー「Obo cafe」を10年経営する。スパイスカレーが人気メニューのお店に。惜しまれながらも2018年に店を閉じる。その後、「硫黄島航空基地」の厨房業務などをしつつ、「恵那市地域おこし協力隊」を経て「飯地町」へ移住。

今後、“人が集える場所・店づくり” など、「飯地町」でできることを模索中。

通称「おぼちゃん」。YouTube「おぼちゃん」にて、恵那や近辺のスポットや、自然の動画などを発信している。

趣味は「カメラ・木工・古いモノの修理・料理」etc..

 

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10年間経営していた「Obo cafe」(オボカフェ)の店内。

趣味のカメラや、ガンダムのフィギュア、書物など、まさに「男の秘密基地的カフェ」。

 

 

脱サラして、突然カフェを始めようと思ったのは、勇気。「やろうと思えばできる」。

 

―15年働いた会社を辞めて、世田谷でカフェ経営?

神奈川で会社勤めをしていた頃、一軒家に住んでいたこともあり、会社や趣味の仲間が家で集まったり、週末遊びに来たりすることが多かった。

そこで料理をしているうちに、皆が集まれる場所をつくりたいと思い、その延長で、脱サラをして、カフェバー「Obo cafe」(オボカフェ)を始めた。

開店して半年で、リーマンショックがあったり、その後、東日本大震災があったり、個人店にとっては厳しいこともあった。

しかし、お客さんが飽きずに来てくれたり、常連さんや、リピーターさんが来てくれた。

お客さんや常連さんたちは、ゲームしたり、本を読んだり、みんな各自好きなことをやって、長時間まったりと過ごしていくようなお店のスタイルだった。

あとは、趣味のオフ会とかで貸し切りとか。

自分ひとりで店をやっていたのもあるが、10年間“のんびり”と店をやっていくことができた。

まぁでも、のんびりといっても、平日は18:00~夜中の3:00、土日は12:00~夜中の3:00まで店をあけて、5年くらいは休みなしで働いていた。

何なら、平日の日中は体を動かすことが好きなので、運動もかねて「佐川急便」でも働いたりと、充実した毎日。

3時間睡眠でも平気だった(笑)

 

10年間、ひとりでやってきた店。休みは、ほぼなし。

 

 

―お店での人気メニューは「スパイスカレー」?

メニューは、「豚バラカレー、チキンカレー、キーマカレー、ビーフカレー」が店の看板メニューになった。

店の広告とかは全く出さなかったので、口コミやSNS等で周知した感じ。

カレーのスパイスは、オリジナルの調合で、カレーの種類によって配合をかえたりするが、大きくはルウの製法に拘ったところが大きい。

カレーの他は、パスタ、自家焙煎の珈琲、お酒、ケーキなども出していた。

 

 

(仕込み中の3種類のカレー。チキンカレー、キーマカレー、ミートソース。)

 

 

 

 

 

 

 

(お手製のレアチーズケーキ。岩村「Hyakkei」のカフェにて。)

 

 

 

 

 

 

―オボカフェ閉店?

10年間、「Obo cafe」オボカフェをやってきて店は軌道にのっていたが、ちょうど10年の境目で店を閉じた。

常連さんからは惜しまれたが、次の新たなライフスタイルを決めていたから、

閉店することは、そんなに躊躇はしなかった。

 

「Obo cafe」(オボカフェ)の外観。ちょうど10年の区切りで閉店。

 

 

新しいライフスタイルを求めて。~田舎暮らしへの想い~。

 

店はやりがいもあり楽しかったが、いつか「田舎暮らし」をしたいという思いが

東京にいる頃に、だんだんと湧いてきた。

 

「東京にいて便利の極みを味わっていたけど、そうじゃないなと。

不便を楽しまないと、人間的に失うものがあるなと。」

 

子どもの頃、母方の祖父が、石川県の山奥の田舎に住んでいた。

大きい古民家で、囲炉裏があって、裏に山があって、山に入って椎茸をとったりした。

おこられて山に放り出されたり、トイレが外にあって、汲み取り式トイレで怖かった記憶もある。

祖父は、木で大黒様とか彫っていた。

幼少期に祖父の古民家で過ごした思い出が、田舎暮らしへの原点になっているのかもしれない。

その他、趣味などに関しても、やりたいことが、田舎の環境に重なった。

 

初めて「飯地町」で参加したイベントは、“てまがい組”の「竹やぶ」手入れ。

 

―恵那市の色々なイベントに参加して、「地域の雰囲気や人」にふれる。

そして、親孝行もかねて、26年ぶりに春日井の実家に帰り、「田舎暮らし」の場所を探した。

山が近くにある環境が良いが、雪がしっかり降るような豪雪地帯はむずかしいと思い、様々な土地を訪れるなかで、「恵那か中津川」がいいとおもった。

 

ちょうど、恵那市の「恵那市地域おこし協力隊」の募集があり、応募すると採用されたので、仕事を機に、恵那の市街地に住んだ。

仕事で空き家を案内する傍ら、恵那市の空き家ツアーに参加したり、

中野方町「大江自然農園」のエゴマ収穫、棚田でのキャンプイベント、笠置町「庭文庫」のシダイベント、岩村「Hyakkei」のカフェイベントなど、

地元の様々なイベントに参加し、イベントを楽しみつつ、移住先の候補地を探した。

 

「飯地町」で初めて参加したイベントは、地元の大工さんの棟梁や左官職人さんなど、「プロの職人技」を教わることができるという「飯地てまがい組」「竹やぶ手入れ」のイベント。

イノシシ除けをつくるために、竹藪の竹を伐って、のこぎりやナタをつかって、竹を割るといった内容だった。

地元の人、移住者、これから移住したい人などがゆるく集まって汗を流した。

町民が朗らかで明るく、作業後に食べる、振舞いの竹筒ご飯や、竹酒がとてもうまかった。

 

飯地「てまがい組」のイベントに参加。プロの職人の技が学べるチャンス。

 

飯地「てまがい組」イベントの竹筒ごはん。地元おかあさんの手作り。絶品。

 

 

「飯地町」への移住のきっかけのひとつとなった、地元イベント“おなかま”。

 

そして、秋頃、さらに「飯地町」で行われた“おなかま”「同じ釜の飯をたべる会」に参加した。

「地元のお母さんたちが、手作りしたご飯を、皆でワイワイ話しながらディナーを囲む」というのが主とした目的のイベントだった。

お母さんたちが飯地町の公民館の調理室で、仕込む中、自分も仕込み部隊に。男一人で(笑)。

手づくりのキーマカレーも持参。

食事をしながら、地域の面白い活動や、地元、移住者、町外者の交流、近況報告、自己紹介などがあった。

各地域、小規模のイベントはあるとおもうが、今回のような100人規模の地域のイベントは初めてだった。

 

ー“おなかま”イベントに参加後の、小保内さんの感想。

 

   ❝仕事柄、移住定住関係をやっていますが、

   今回のイベントで再確認した事は、目ぼしい観光ランドマークが無くても、地域の人柄の良さに触れることが出来れば、

   それが住みたい想いに直結するんだなと。

   歴史や風景、利便性を売りにするのも別に良いんだが、

   生活の根本は地域付き合いになる。

   それが垣間見れるイベントは強いなぁと思った。❞

 

“おなかま”の雰囲気。地元のひとも、移住者も、市内や県外から遊びにきてくれたひとも、子供たちも、わちゃわちゃとお喋り。

 

突然マイクがまわってくる「全員自己紹介」のインタビューにこたえる。

 

 

山だけど「孤島感がいい」。「高原がつくのがいい」。「辺境の土地なのがいい」。

そして、不便なところがいい。

 

―そして、いよいよ「飯地町」への移住を決める。

飯地町の良さは、ロケーションが好み。

高原で空気感が良い。

地形的に、小上がりになっているフィールド。(ありそうであまりない地形だから。)

そして道が一本道のところ。

基本的には恵那市街から八百津町に抜けていく、山坂道が一本なので、半端な気持ちでは住めないし、

色々不便なところが良い。

飯地町の人たちとも交流をもちながら、

概ね、飯地町のこんな部分を気に入り、移住を決めた。

 

飯地町の秘境の滝「平瀬滝」。

 

「先達移住者も多めで分からないことも気軽に聞けるのが良い。

 そして、思ったより、雇用がある。」

 

―「飯地町」に住んでみて、どう?

今のところ、自分の予想通り。

静かでよい。よく眠れる。

今は、テント村でアルバイトをしている。整備をしたり、蒔いたり、打ったり、切ったり(笑)

あとは、地域の人から頼まれた手伝いの仕事がおもったよりある。

身体を動かすのが好きだから楽しい。

そして、不便ということは、余計なものを買わなくなるから、本当に必要なものが見えてくる感じ。

先達移住者も多めで分からないことも気軽に聞けるのが良い。

 

地域の人の手伝いの仕事。はじめての屋根仕事。

 

―今後「飯地町」でやりたいこと。

まず、趣味の“木工”と“写真”を再開したい。

どうしても木工をやるときは、工具の大きい音がでたり、削りくずがでたり、都会では難しかったから。

自作で、木製の「暗箱のカメラ」を作っている。

今後は、スピーカーや、その他のものも作ったり、販売もしてみたい。

 

 

(お手製の木工の木製暗箱のカメラ)

 

 

 

 

 

 

(調理道具や工具、道具全般が好き。何かを生み出すものだから。)

 

 

 

 

 

 

 

(趣味の写真1。東京都あきる野市、五柱神社の巨木。巨木好きでもある。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(趣味の写真2。飯地高原自然テント村の星空。)

 

飯地町でも、人が集える場所をつくりたい。「オボカフェ」2nd。

 

それから、落ち着いたら、農作物づくりをやりたい。やはり、自分が食べるものくらい自分でつくりたいから。

たくさん収穫できたら、都会の知り合いに送ってあげるなどが理想。

そして、自分でつくった野菜をつかって、料理がだせるようなお店を作りたい。

飲食店や接客をふくめて、人と喋るのが好きだから、「Obo cafe」オボカフェ2ndを「飯地町」で開きたい。

そして、気に入る古民家がみつかれば、購入してリノベーションして、新たな拠点や住まいにしたい。

 

仮住まいの古民家。昭和の雰囲気が漂う。

 

 

岩村「Hyakkei」のカフェイベントで、キーマカレーをつくる。

 

 

―恵那市やその近辺のスポットや、自然を撮影して、動画にて配信。

東京のときから、ニコニコ動画の生放送で、カレーの仕込みなどを動画で配信していた。

結構、それを観てお店に来てくれるお客さんも多かった。

今でも、料理や、ドライブ、作業の動画etc..を撮影して、配信したり。

こっちに来てからは、自然が好きだから、恵那市やその近辺のスポットや、自然の動画をいろいろYouTubeで発信している。

東京からは離れてはしまったけれど、今はネットで繋がることができるので、仲間にも動画を通じて、田舎暮らしや自然を知ってもらいたい。

そして、気に入ったら遊びにきてもらいたい。

 

 

―今後「田舎暮らし」をしたい人、「古民家」を探している人に一言。

う~ん、まずは気に入ったエリアの地域のイベントに足繁く参加することかな。

あとは田舎で自分のやりたいビジョンを明確にしておくといいと思う。

 

(取材日2020.5月/平井はな恵)

 

~YouTube「おぼちゃん」動画~

 

 

 

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